![永仁の壺 [単行本] / 村松 友視 (著); 新潮社 (刊) 永仁の壺 [単行本] / 村松 友視 (著); 新潮社 (刊)](http://ecx.images-amazon.com/images/I/41S7V9S950L._SL160_.jpg)
気になっていた永仁の壺事件と同題名の本を見つけ読んでみました。
永仁の壺事件は陶芸家加藤唐九郎が作成した通称「永仁の壺」を巡って起こった事件である。昭和34年に国の重要文化財に指定された「永仁二年」銘の古瀬戸の壺が、実は唐九郎の作ったものであることが明らかになり、マスコミをあげて大騒ぎとなった。その翌年、重要文化財の指定が解除され、文化財保護委員会の文化財専門審議会における実質的な重文指定の推進者となった文部技官の小山富士夫もその責任を取って辞職した。また、加藤唐九郎は贋作作家の汚名を着せられ、国の重要無形文化財有資格者(人間国宝)の認定を取り消されたほか、すべての公職から身を引くことを余儀なくされた。
この小説の作者であり、また主人公でもある村松友視は、ふと立ち寄った割烹料理店で、偶然小山富士夫作成のぐい呑みで日本酒を飲んだことから、永仁の壺へと思いを馳せることとなる。
彼はまず、小山富士夫の側から永仁の壺事件の事実関係を洗い始める。親族や近しい者から聞いた話からは、「戦後間もない時期であり、小山富士夫は日本から一級の陶芸品が海外へと流れを止めることに使命感を持っていた。そこに付け入ったのが唐九郎である。彼は、自ら作った古瀬戸のまがい品を叩き割って、破片を山の中に埋め、小山富士夫をそこに案内し、古瀬戸の完全な壺が発見される可能性を小山に示唆した。その後、唐九郎は自分が作った古瀬戸の壺を小山に見せて鎌倉時代のものであると信用させて、重文指定へとつながった。」というものであった。
この話を文字通り信じると唐九郎はとんでもない悪徳非道の詐欺師であり、ほとんど犯罪者となってしまう。
村松は、今度は逆に唐九郎の側(陶芸家)から、事件を追ってみる。昭和12年に制作されたこの壺は、大陸での新宗教の神器として祭壇に飾るためという名目で注文を受け制作されたものであった。当時の志段味村長(現名古屋市に併合)の長谷川佳隆は注文の経緯を知り、新宗教の神器の出土地を日本の総本山の近くから劇的に発掘されたという演出を考えていたが、新宗教は頓挫してこの壺は長谷川の所有することになった。唐九郎は他の人手に渡ることはないものと考え、鎌倉由来という虚偽の由緒を黙認していたが、金に困った長谷川は他に渡してしまった。唐九郎がこの壺に再会した時は驚くほどの高額と重要文化財という肩書がついていたとのことだった。
両者側のそれぞれの噛み合わない言い分を挙げたが、私としては、小山は古陶磁研究の権威であり、そして錚々たる専門家からなる文化財専門審議会が判断を誤ったのは擁護のしようがないと思う。重要文化財という国家権力に保証された権威がいとも簡単に崩れさる姿に、芸術に対する国家権威のかかわり方に大いに考えさせられた。ただし、自分の非をすぐに認め、誰も非難することなく潔く、退く小山の姿には強い感銘を受けたが。
唐九郎は「結局、美しさというものが見えない人が学問(権威)でごまかされている」と言っているが、これがまさしく唐九郎の権威に対する反発心を表していると思う。美しいと思うものに対し、なぜ美しいかという理屈はいらないということではないか。美に対しては、権威に頼らず、自分の心で評価するということが一番大切なことではなかろうか。このことを身をもって唐九郎は役人に反論したかったと思う。
この本のもう一つの主題として、偽物とは何か、本物とは何かがある。唐九郎の作った永仁の壺は果たして偽物だったのか。役人が考えるように永仁時期に作られていないことからすると贋作ということになるが、単に永仁二年という銘が入った昭和時代に作者が心をこめて作った優れた瓶子という面からはりっぱな本物ではないかと思う。
私が興味を持っていた事件の真相究明の点からは不満足ではあるが、芸術価値と権威、偽物と本物の意味づけを考える上ではたいへん参考になる小説である。







